日本に生まれた幸せ

日常

12/26、無事にクリスマスも終わりまして、後は、お正月へまっしぐらです。子供たちも冬休みで、年末のお休みに入った気分ですが、おっと危ない、まだしないといけない仕事は残っています。

昨日、寝る前にお布団の中で、子供が「Blieave」という歌をYouTubeで聴きたいというので、子供達と聴いていたんですね。

いや~これ、めっちゃいい!!歌自体は知ってて、歌だけでも素晴らしくて大好きなんですが、この東京芸大の声楽科出身の皆さんのリモートのコレが、めちゃくちゃいい!!これ何度もリピートして聴いていたんですが、そのうち子供が寝たので、流れてきた動画がふと目に留まって観てみたんです。

北朝鮮からの脱北者の方にインタビューするこちらの動画。

いや、もう壮絶で。

生きるか死ぬかをかけて、脱北をする。北朝鮮では、明日食べるものもあるかわからない。親、兄弟を助けるために、自分が一人減ったほうがいいから、家族を一生会えないことを覚悟の上で、脱北をする。もちろん、途中で見つかって捕まれば、、処刑される。。

これを温かいお布団の中で観ていた私。隣には子供たちがすやすや寝ていて、クリスマスは食べきれないご馳走を食べて、明日食べるものもある。なんなら、冷凍庫がパンパンで、どうやって“消費”しようかなんて「悩んで」いる。

動画の中で、1990年代の日本の様子を映像で、女性の脱北者の方に観てもらっているんですが、今から30年前の映像ですら、近代的で、自分の生きていた世界と違いすぎて「信じられない」と言ってましたね。そもそも日本はそんな国と聞かされて育ってこなかったというのと、私たちにとっては普通の日本の風景や子供達や人々の姿に、その女性は「この人たちは何を思って生きているのだろう」って言ってました。たぶん、何も考えず、普通~に楽しく暮らしていた思われる人たちが映っていましたが、その女性にとっては、その「状態」自体が普通でないわけで。そう思ってしまう感覚も理解できるようでした。

同じ人間、生まれた場所の違いで、生きる世界が違う。この不思議。なんなんだろう。

自分は、なぜこの時代の日本に今生まれて生きているんだろう?という不思議。

運命というのか、なんというのか。

幸せを比べるわけではないけれど、自分がいかに幸せな境遇に生きているかを考えさせられました。日本でも、私の想像を絶する境遇で生きている方もいると思います。悩みや悲しみ、辛いこと、大なり小なり、もちろんあります。不平不満だってある。

それを、この動画の方と比べて、我慢しないと、とも思わないけれど。

今目の前にある状況が『いかに幸せであるか』を思わずにはいられませんでした。

日本人は平和ボケしていると言われるけれど。それではダメで、自分事として関心をもって政治などに目を向けていかないといけないと言われるけど。もちろんそうだけど、平和ボケできるってことほど幸せなことってない。

だからって、何をしよう!しなきゃ!と言うつもりも、言うこともないけれど。

ただただ、自分の手の届く範囲にある幸せのありがたさをひしひしと感じた昨晩でした。

欲を言えば、もっと望みはあるけれど、今だって十分幸せに生きれていること、ありがたいと思わずにはいられませんでした。

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